東京高等裁判所 平成2年(う)877号 判決 1990年11月29日
主文
原判決を破棄する。
被告人甲を懲役一年に、 被告人乙を懲役八月に処する。
被告人両名に対し、原審における未決勾留日数中各三〇日をそれぞれその刑に算入する。
被告人両名に対し、この裁判確定の日から各三年間それぞれその刑の執行を猶予する。
理由
本件各控訴の趣意は、弁護人岡崎敬作成名義の控訴趣意書に記載のとおりであるから、これを引用する。
一 控訴趣意第一(本件各公訴の提起が無効であるとの主張)について
所論は、要するに、憲法三一条に定める適正手続の保障に照らし、日本語を解さない外国人の被告人の場合、刑訴法二七一条一項は、その者の理解できる言語で記載された起訴状の謄本を被告人に送達しなければならないと定めたものと解されるところ、本件において、被告人両名は日本語を全く解することができないのに、被告人両名に対し送達された平成二年五月一五日付け起訴状の各謄本及び被告人甲に対し送達された同年六月六日付け追起訴状の謄本はいずれも日本語で記載されたものであって、被告人両名の理解できる言語で記載されたものではなかったから、同条に定める起訴状の謄本の送達がなかったことに帰し、すでに右各起訴の日から二箇月を経過しているので、本件各公訴の提起は、同条二項により、さかのぼってその効力を失ったものであり、したがって、本件各公訴につき、公訴棄却の決定を求めるというのである。
所論に鑑み、原審記録を調査し、当審における事実取調べの結果を併せ検討すると、まず、本件における手続の経過は、次のようなものであったと認められる。すなわち、
(1) 被告人甲は、平成元年一一月三〇日に本邦に入国したイラン回教共和国の国籍を有する者、また、被告人乙も、平成二年四月三〇日に本邦に入国した同じくイラン回教共和国の国籍を有する者であって、いずれも現在に至るも日本語に通じていないこと
(2) 被告人両名はいずれも、同年五月四日、原判示第一の窃盗の事実につき、現行犯人として逮捕されたのち、警視庁上野警察署において、司法警察員から弁解の機会が与えられ、更に同日、司法警察員の取調べを受け、次いで同月六日、検察官に送致され、これに伴い東京地方検察庁において検察官から弁解の機会が与えられ、更に検察官からの請求に基づき、同月七日、東京地方裁判所裁判官から勾留質問を受けたのち勾留されたが、いずれの際も、通訳人関喜房を介し、被告人両名の理解できる言語であるペルシャ語で犯罪事実の要旨が告げられて、弁解や陳述が録取され、或いは取調べが行われ、また、供述調書の読み聞けもペルシャ語で行われたこと、なお、被告人両名の勾留場所は、代用監獄である警視庁上野警察署留置場であったこと
(3) 被告人両名はいずれも、同月一一日、本件窃盗の事実に関し検察官の取調べを受けて、各供述調書が作成されたが、その際は、通訳人田村バファイ・アフサネを介し、ペルシャ語で取調べ及び調書の読み聞けが行われたこと
(4) 被告人両名はいずれも、本件窃盗の事実につき、同月一五日、東京地方裁判所に公訴が提起されたこと
(5) 被告人両名は、起訴後も引き続いて同警察署留置場に在監していたが、同月一六日、検察官から代用監獄の長である同警察署長あてに起訴通知書が送られて来た際、通訳人関喜房が被告人両名と各別に電話でペルシャ語で話し、右起訴通知のあったことを知らせたこと
(6) 同月一八日、同月一五日付け起訴状の謄本が代用監獄の長である同警察署長あてに送達され、看守係からその各一通が被告人両名にそれぞれ交付されたが、右各謄本はいずれも日本語で記載されたものであって、これにペルシャ語の訳文の添付などはされておらず、そのため、被告人両名が起訴状の内容が分からないと申し立てて、文書受発簿に受領の指印をすることを拒否したこともあり、同月二〇日、通訳人関喜房を介し、ペルシャ語で本件起訴状の内容を告げられ、弁護人の選任に関する照会についてもペルシャ語で説明を受けたこと、なお、その後に文書受発簿に対する受領の指印を行ったこと
(7) 被告人甲は、同月三〇日、原判示第二の不法残留の事実につき、検察官の取調べを受け、同日付け供述調書が作成されたが、同通訳人を介し、ペルシャ語でその取調べ及び調書の読み聞けが行われたこと
(8) 同被告人は、本件不法残留の事実につき、同年六月六日、東京地方裁判所に公訴が提起され、同日付け追起訴状の謄本が同月八日に同警察署長あてに送達され、看守係からこれを交付されたものの、右謄本は日本語で記載されたものであって、これにペルシャ語の訳文の添付などはされていなかったが、同日又は同日から同被告人が東京拘置所に移監された同月一二日ころまでの間に通訳人を介し、ペルシャ語で同起訴状の内容を告げられたこと
(9) 被告人両名は、国選弁護人の選任を請求し、これに基づき、同年五月二九日、弁護士福田拓が被告人両名の国選弁護人として選任され、同年六月二六日、東京拘置所内において、同拘置所に在監中の被告人両名(被告人乙は、同月一五日に移監)と通訳人を同席させて各別に接見し、公判における防御方針等について打合せを行ったこと
(10) 原審においては、同月二七日に第一回公判期日が開かれ、本件各起訴状の朗読、被告人両名及び福田弁護人の被告事件に対する各陳述、検察官の冒頭陳述、証拠調べ、論告、弁論、被告人両名の各最終陳述など公判手続が通常の過程で進行して、弁論終結に至り、同年七月四日に判決宣告期日が開かれて、原判決が言い渡されたが、両期日とも、ペルシャ語の通訳人八尾師誠が出頭し、同通訳人を介して審理及び判決の言渡しが行われたこと
などが認定できる。
ところで、刑訴法二七一条一項は、その規定の文言上、送達する起訴状の謄本は被告人の理解できる言語で記載されたものでなければならないなどと定めているものではなく、裁判所法七四条が裁判所の用語を日本語と定めていることに照らし、当該謄本が日本語で記載されたものであることを当然の前提としてその送達が定められたものと解される。したがって、本件においても、右(6)及び(8)認定のとおり被告人らに送達された同年五月一五日付け起訴状の各謄本及び同年六月六日付け追起訴状の謄本はいずれも日本語で記載されたものであったが、右規定の文言に即してみる限り、右規定に従った起訴状の謄本の送達が公訴の提起のあった日から二箇月以内に適法に行われたということができる。
ただ、同条が起訴状の謄本を被告人に送達しなければならないと定めているのは、たしかに所論指摘のように、被告人に公訴が提起されたこと及び公訴事実を知らせ、予め防御の準備の機会を与えるためのものであり、したがって、同条も憲法三一条で定める適正手続の保障を具体化した規定の一つとみることができる。そして、そのような観点から起訴状の謄本の送達について考えると、被告人が日本語を理解できない者である場合、日本語で記載された起訴状の謄本が送達されたときは、それだけでは直ちにその内容を理解することができないのであるから、右のような刑訴法二七一条の趣旨を生かすという意味で、起訴状の謄本の送達に伴い被告人に起訴されたことを了知させる措置が取られたり、更には起訴状の謄本に被告人の理解できる言語で記載した訳文が添付されていたり、或いは謄本の送達後間もない時期に通訳人を介し起訴状の内容を知る機会が与えられたりすることが好ましいことはいうまでもない。もっとも、憲法三一条の趣旨に照らし、こうした訳文の添付等が直ちに同条の要請するところとは考えられない。すなわち、起訴状の謄本が送達された際には、被告人としては自分がいかなる事実について公訴を提起されたのか直ちには理解できていなかったとしても、公判手続全体を通じて、被告人が自己に対する訴追事実を明確に告げられ、これに対する防御の機会を与えられていると認められるならば、適正手続にいう「告知と聴問」の機会は十分に与えられているということができ、ひいては手続全体として憲法三一条には違反していないと考えることができるのである。
そして、本件における手続の経過は、前記(1)ないし(10)認定のとおりであって、前記(6)及び(8)認定のとおり送達された各起訴状の謄本は日本語で記載されたものであったとはいえ、送達のあったこと及び起訴状の内容がどのようなものであるかということは、被告人両名とも、その送達の日ないしその後数日内に通訳人を介し、ペルシャ語で告げられているものと認められる。のみならず、被告人両名は、本件窃盗の犯行直後に逮捕されて以後、捜査段階においても弁解録取、取調べ、勾留質問等に際し、常に通訳人が立会い、ペルシャ語による通訳を受けており、犯罪事実についてもその要旨を繰り返しペルシャ語で告げられていたことが明らかであって、とりわけ原判示第一の窃盗の事実については、前記(5)記載のように起訴されたことを知らされた際には、それだけで自分らがいかなる事実で起訴されたか十分に理解できていたものと窺え、更に、その後第一回公判期日の前日に被告人両名とも通訳人同席で弁護人と接見し、防御方針等について打合せを行い、公判期日にはペルシャ語の通訳人を介して、起訴状の朗読に始まり、証拠調べを経て、論告、弁論、被告人両名の各最終陳述に至るまでの公判審理が正常かつ適正に行われたことが明らかであって、こうした手続全体の流れに照らし、本件において憲法三一条の要請は十分に充たされているということができる。
以上のとおりであるから、本件各起訴状の送達に関し、所論指摘のような違法は全くなく、本件各公訴の提起はいずれも有効であって、刑訴法二七一条二項、三三九条一項一号により公訴を棄却すべきでないことは明らかである。論旨は、理由がない。
二 控訴趣意第二(量刑不当の主張)について
所論は、要するに、被告人両名に対する原判決の量刑はいずれも重過ぎて不当であり、それぞれその刑の執行を猶予するのが相当であるというのである。
そこで、原審記録を調査し、当審における事実取調べの結果を考え合わせて検討すると、本件事案は、次のようなものである。すなわち、被告人両名はいずれも、前示のようにイラン回教共和国の国籍を有する外国人であって、被告人甲においては平成元年一一月三〇日に、被告人乙においては平成二年四月三〇日に、有効な旅券を所持して観光目的で本邦に入国した者であるが、同年五月始めに東京都台東区所在の上野公園内においてたまたま行き合ったことから知り合い、以後行動をともにし、同月三日夜は同公園近くのサウナに泊まるなどし、翌四日午前一一時半過ぎころ、同区上野四丁目所在のアブアブ赤札堂上野店に赴いた際、共謀の上、同店四階婦人服売場において、被告人両名が手分けして女性用ズボン合計五本及びGパン一本(時価合計二万七四〇〇円相当)を陳列ハンガーから外し取り、これらを手に持つビニール袋や黒色バッグの中に隠し入れるなどして窃取し(原判示第一の事実)、被告人甲は、旅券に記載された在留期間は平成二年二月二八日までであったのに、同日を経過しても本邦から出国せず、同年五月三日まで不法に残留していた(原判示第二の事実)ものである。そして、右のような事案の内容、罪質、犯行の態様等に照らし、本件各犯行の犯情が芳しいものでないことはいうまでもない。更に、本件窃盗の犯行においては、被告人両名がアブアブ赤札堂上野店に立ち入った当初からいわゆる万引き行為にでることを計画していたと窺えること、その動機においても本国に持ち帰って家族等への土産にするか、或いは換金しようというものであって、特に酌量の余地はないこと、また、被告人甲の場合、本件窃盗の犯行は本邦に不法残留中に犯したものであること、不法残留の期間も短くないことなどを合わせ考えると、被告人両名の刑事責任はそれぞれに決して軽いものではなく、なお被告人甲の責任が、被告人乙のそれに比し、より重いものであることは明らかである。
しかし、他面において、起訴された窃盗の犯行は一回だけであること、被告人両名が右窃盗の犯行直後店員らに現行犯人として逮捕され、賍品も取り返されたことから、右犯行において実質的な被害は発生しなかったこと、このように実損がなかったという意味もあってアブアブ赤札堂上野店の責任者が被告人両名を宥恕する意思を表明していること、被告人両名とも現在では自己の行ったことについて十分に反省後悔していること、被告人両名とも前科前歴がないこと、加えて、被告人甲においては不法残留を続けていたとはいえ、右五月四日に逮捕された際にはすでに同年六月の航空便を帰国のために予約していたことなど、被告人両名に有利にしん酌できる事情もかなり見出すことができる。そして、以上のような被告人両名に有利不利な諸般の事情を全て総合し、なお被告人両名の間にはその責任に若干の軽重のあることを考慮に入れながら、被告人両名に対する量刑を検討してみると、被告人両名いずれに対しても今直ちに実刑を科し社会内で自力で更生する機会を与えないということは酷に過ぎるというべきであり、したがって、被告人甲を懲役一年の、被告人乙を懲役八月の各実刑に処した原判決は重過ぎて不当である。論旨は、理由がある。
よって、刑訴法三九七条一項、三八一条により、原判決を破棄し、同法四〇〇条但書により更に次のとおり判決する。
原判決の認定した罪となるべき事実に、原判決と同様の法令を適用し、被告人甲に対しては原判決と同様の刑種の選択、併合罪の加重をした刑期の範囲内で同被告人を懲役一年に処し、また、所定刑期の範囲内で被告人乙を懲役八月に処し、被告人両名に対し、各刑法二一条を適用して、原審における未決勾留日数中各三〇日をそれぞれその刑に算入し、前記情状を考慮して各同法二五条一項により、被告人両名に対し、この裁判確定の日から各三年間それぞれその刑の執行を猶予し、当審及び原審における訴訟費用は、各刑訴法一八一条一項但書を適用して、これを全部被告人両名に負担させないこととし、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官柳瀨隆次 裁判官松本時夫 裁判官宮嶋英世)